“了”は、中国語の象徴的な助詞です。
中国語には2種類の“了”があります。
以下、《现代汉语八百词》(吕叔湘主编,商务印书馆)に基き簡潔に解説します。
一つ目の“了”(以下、“了1“)は、動詞の後において、主に動作の完了を表します。
動詞の後に目的語があれば、“了1”は目的語の前に置きます。
この“了1”には、文を完結させる力はありません。
二つ目の“了”(以下、“了2”)は、句末にあります。
主に、ものごとに変化が起こる、あるいは変化しそうなことを認める時に使われます。
そして、“了2”には文を完結させる力があります。つまり文を言い切りにする作用を持つ。
動詞の後に目的語がある場合、“了2”は目的語の後ろに置きます。
我喝了茶了。
では、“喝”の直後にある“了”は、“了1”で、「飲む」という動作が完了していることを表していて、“茶”の直後にある“了2”は、「お茶を飲んだ」という動作が起こったという「変化」を端的に表し、文章を完結させています。
たとえば、この文に“了2”がないと(☓“我喝了茶”)、聞く人は「で?その後になんかあったの?それともそれだけ?」という疑問を持たないでいることは不可能です。なぜなら文章が終わっていることになっていないからです。本人は「お茶を飲んだ」と言ってるつもりでも、“了2”がないばかりに、収まりが悪くなってしまっています。
なので、目的語の後ろ、つまり文の最後に“了2”を付けて「言い切る」必要があります。または、“我喝了一杯茶“とすることも可能です。これでも言い切りになります。この場合、“喝了”と“一杯茶”(数詞が付いていて「お茶」が限定されている)はお互い「釣り合っている」からです。
中国語は、「無限定」と「限定」という概念に貫かれた言語だと言われます。文を言い切りにするということは、その分を限定させ、無限定の世界に区切りをつくることにほかなりません。それは“了2”だけではなく、様々な助詞や、数量詞や形容詞によって無限定の世界を限定させるのです。話し手は、世界の一部を切り取り、何かを伝えたいのですから、無限定のまま伝えることは不自然なのです。
「無限定」と「限定」は共存しません。さっきの、☓“我喝了茶”で言えば、“喝了”は「飲む」という行為が完了したことを表していますので(飲もうとしているのでもなく、飲みたいのでもなく)、それに合わせる形で、後ろの目的語も限定させなければいけないのです。だから“茶了“で言い切るとか、”一杯茶”で「一杯の」お茶であることを明示する。このようにして中国語の文章は完結します。

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